聖夜の贈り物


 それは寂しさと切なさとほんの少しの怒りが混じった複雑な表情だった。
姉のそんな顔を見て、でも、祐巳には何もすることができなかった。ただ、姉の隣に立っていることしか。
私はお姉さまの側にいますから……と無言の言葉を投げかけながら。
 陽が暮れ、辺りを夜色のヴェールが覆い始める。大気はしんしんと張り詰め、冷たさだけが増していく。
祐巳と祥子の口許からもれる白い吐息だけがほわりと漂っていた。
「あの子たちが悪いわけではないのよ……」
 呟く声に祐巳は姉の顔を見上げる。どこか寂しく辛い表情。
 クリスマス前夜、二人は手作りの募金箱を手に、冷たく黒い並木道に立っていた。

 それは5日前――
 聖夜に山百合会で何かイベントを開催しましょうという話になっていた。集まったみんなで紅茶をたしなみながら、わいわい楽しいひととき。
もちろん、いちばんはしゃいでいたのは白薔薇こと佐藤聖さま。黄薔薇さまは、淡々としつつ、その瞳の奥に画策の輝くを放っていた。
そこに由乃さんも加わり、終わりの見えない大討論会。まとめ役の紅薔薇さまは眉間を押さえて渋い顔。
そして、祐巳は姉の祥子と一緒にいられるだけで幸せいっぱい。もうすぐ、お姉さまと初めてのクリスマス……
もしかしたら、デートに誘われちゃったり、レストランでキャンドルの灯を挟んで見つめ合って、それから、
それから誰もいないお聖堂で『祐巳……』とか名前を呼ばれて、抱きしめられて、そして唇が……!
(きゃー♪)と心の中で可愛い悲鳴……が、「ぎゃう!」
「祐巳ちゃ〜ん、また百面相してたよ。なに考えてたのかなぁ?」
「ロ、ロサ・ギガンティア?!」
 いきなり背後から抱きしめられ、ほっぺをむにー。祐巳はおまぬけな顔になりながら、わたわたと振りほどく。
「おたわむれもほどほどにしてください、ロサ・ギガンティア」
 紅茶を味わいながら静かに言う祥子。いつものことなのでさほど気にしてない様子。
 ぱんぱんと手を叩く音。紅薔薇さまが皆の注目を集める。
「はいはい、遊びはおしまい。聖夜まで日がないのだし、早く決めてしまわないと。それに外も薄暗くなってきたわ。女の子だけの夜道は危ないから」
「なら、あたしが送ってってあげる」
 嬉々として白薔薇さま。
「ご冗談。あなたがいちばん危ないの」
 紅薔薇さまは、目を細め、にっこりと満面の笑みで冷たく答える。
「…………」
 しゅんとして椅子に腰掛ける白薔薇さま。いじけて机の隅を指先でいじってる姿が、でも、なんだか可愛らしい。
 そのとき、志摩子さんが小さく手を上げた。
「あの、チャリティー活動とかどうでしょうか? 募金や、いらなくなった服や毛布を集めて、そういう団体に寄付すれば、困っている人達の助けにもなります。
それはマリアさまの心にも近いのではないでしょうか」
 志摩子さんの凛とした提案にうなずく一同。
「慈善活動に、博愛精神……志摩子は優しいね」
 にこりと言う白薔薇さまに、どこかぎこちない笑みをかえす志摩子さん。
「では、先生方には私から話を通しておきます。まず何も問題はないでしょう。シスターにお願いすれば教会を通して寄付もできるでしょうから」
 紅薔薇さまは議事録へ簡単に筆を走らせ「今日はこれでお開きに――」
「ちょっと待った!」
 その言葉を遮って白薔薇さまが声をあげる。
「それだけじゃ、面白くないでしょ? ふたりずつペアを組んで競うのはどう? で、生徒の皆に勝ち組を予想してもらうわけ。
正解した子達の中から、抽選で山百合会から素敵なプレゼント」
 にこりとウインク。
「慈善活動をゲームにするのはどうかと思いますが」
 そんな姉の発言に祐巳はちょっと身を縮める。つい面白そうと思ってしまったから。
 ふと黄薔薇さまが立ち上がる。
「山百合会で権限のある三薔薇の多数決で是非を問いましょう」
 静かに、おごそかに言いながら、その瞳の奥がらんらんと輝いているのを誰も見逃さなかった。
白薔薇さまは「ナイス!」と親指を立てて喜んでいる。
紅薔薇さまは、しょうがない人達、と吐息を漏らしていた。
「ロサ・ギガンティアと私は賛成。難色を示しているのはロサ・キネンシスひとり」
「じゃあ決定?」
 そのやり方に少し納得がいかない様子の由乃さん。時代劇の世界なら白と黄のふたりは完全に悪者である。
ゲームは面白そうだけど、でも納得いかない……と呟きながら隣の令ちゃんを見る。
姉と妹に挟まれ、たじろぐ黄薔薇のつぼみ。剣の達人も嫁姑問題に悩には弱いよう。
「ではでは、コンビを決めちゃお〜」
 もはや敵なしとばかりに進行する白薔薇さま。
「まず祐巳ちゃんと祥子ね。それから由乃ちゃんと令。蓉子は志摩子と組んであげて」
「どうして? 白薔薇姉妹で組めばいいじゃない」
「あたしは江利子と組むから」
 もう、ふたりは以心伝心。なにやら企み顔で頷きあっている。行動力の虎に策士の龍。祐巳は誰にも止められない気がした。
 かくして山百合杯・聖夜ダービーは開催されたのだった。

 そして当日。
 祐巳は放課後に姉と一緒に作ったお手製募金箱を持って薔薇の館へ向かった。そこには既に姉の姿が。
昼間でも息が白くなる寒さの中で上着も、手袋もなく、ただ、制服だけで立っている。
「ごきげんよう、祐巳」
「お、お姉さま! そんなかっこうでは風邪をひいてしまいます。あ……ごきげんよう、お姉さま……じゃなくて、せめてコートを着ないと」
「祐巳」
「は、はい」
 静かな笑みを浮かべて自分の名前を呼ぶ姉の声。しゃんとして見上げる。
「世の中には食べる物にも着る物にも困っている人がいるのよ。私達だけが暖かいかっこうをして募金はお願いできないでしょ?」
「お姉さま……」
 そんな姉の言葉に祐巳は感動して、尊敬して、そして自分も一緒に、寒さに耐えながらがんばろうと決意する。身体は寒いけど、でも心は温かかった。
「募金のご協力、お願いします」
 放課後、わりと人通りの多い並木道。姉と肩を並べて募金を呼びかける。
友達やクラスメートが立ち寄って「がんばって」と声援と一緒にお金を入れてくれるのが嬉しかった。ときどき募金箱をゆすってみる。
ちゃりん、ちゃりんと軽い音がする。でも、それは大きな親切のこもった音。たくさんの金額は無理でも、その心が嬉しかった。ちゃりん、ちゃりん、胸に響く。
「嬉しそうね、祐巳」
「はい! 上手く言葉にできないですけど、とっても嬉しいです。あと、とっても寒いですけど。えへへ。でも、がんばります」
 くすりと笑みを浮かべる祥子。ふと祐巳の手を掴まえる。
「冷たい手……」
「お姉さまも……冷たいです」
 手を取り、視線が重なり、恥かしさに頬を染める祐巳。
 夕暮れも過ぎ、辺りを薄暗闇が静かに覆っていく。空気の冷たさも鋭くなり、でも、祐巳はますます頑張ろうと思うのだった。冷えた手を繋ぎながら。
 そのときだった、その声が聞こえたのは。
(……偽善よね……)
 それは、微かに、でも、確かに聞こえた。姉の顔がにわかに強張り、陰る。何人もの生徒が帰路を急ぐ並木道。誰の声だか分からない。
それは聞こえないように、けれど、聞こえるように飛んできた。
(……あの小笠原家のご息女だもの。ひとに乞う真似しなくたって札束くらい簡単に出せるでしょうに……偽善よね……)
 繋いだ姉の手が小さく震えていた。祐巳は心の中で耳を塞ぎ、ぎゅっと姉の手をにぎりしめる。
その辛辣な言葉は一瞬で通りすぎたけど、でも、残していった痕は決して小さくなかった。
「あの子たちが悪いわけではないのよ……」
 ふと呟く姉の声。見上げると、どこか悲しく寂しい表情。
それが祐巳には、たまらなく辛かった。確かに小笠原家は有数の名家で多額の寄付も簡単にできるはず。
だけど、そんな金額じゃない何かが大切なのだと祐巳は強く思う。
もちろん、たくさんのお金があるほうが助かるのも分かるけど、今は、心のこもった一円や十円玉がすごく愛おしい。募金箱を強く抱きしめる。
この気持ちが分からない人にお姉さまを悪く言う資格なんてない。
「わ、私、お姉さまのこと、尊敬してますから!」
 何かを伝えたい、でも、何を伝えたらいいのか分からない。いきなり出たのはそんな言葉だった。きょとんと目を丸くして、そして穏やかに微笑む祥子。
「ありがとう、祐巳」
 きゅっと繋ぎあう手が暖かい。あんなに冷たかったのに。祐巳はその温もりに困難を乗り越えていく姉妹の絆を感じていた。
「募金にご協力お願いしまーす!」
 大きな声で頑張る祐巳。空気の冷たさにも、世の中の冷たさにも負けない大きな白い吐息がイヴの夜に暖かく広がっていった。
 それは、きっと聖夜の贈り物。

 後日談。
 この山百合杯・聖夜ダービーを制したのは「白&黄薔薇組」だった。いったいどんな手を使ったのか知らないけれど、他の組を1ケタも上回る快挙。
2着は令&由乃組。由乃さんは悪を成敗できなかったと地団駄を踏んで悔しがる。3着は紅薔薇さま&志摩子組。そして4着に祥子&祐巳。
 祐巳は少ない金額だけど、でも、大きな心の詰まった募金箱を誇りを持ってシスターに手渡した。尊敬する姉と一緒に。

                                                                                  おしまい

いつも掲示板に遊びに来てくださる瀝青さまにいただきました。
掲示板に書き込みのSSだったりします。(嬉)
ちゃっかりいただきます。ありがとうございます。