真夏のどきどきエアメール


高校二年生の夏休み。
去年は長い夏休みが大好きなごくごく平凡な一女子高生だったのに、今年は違う。
「お姉さまに会えないぁ…」
真面目に宿題をしようと机に向かったものの、気が進まずに机に頬杖をついたまま
祐巳は呟いた。
学園に行けば必ずお姉さまにお会いできるというのが、毎日の単調な生活に
どんなに大きな彩を与えているか、改めて感じてしまう。
いくらお出かけのお約束をしたところで、毎日会うことなんてできないし、
祐巳のお姉さまに限っては偶然ばったりどこかで会うなんてこともありえない。

こんな時、つくづく由乃さんが羨ましいと思う。
「なんでー?毎日嫌でも顔合わせないといけないのよ?時々鬱陶しくなるくらい」
あっけらかんと由乃さんが答えた言葉はまるっきり熟年夫婦。
傍らで苦笑していた令さまが妙に印象的で。
「気になるなら電話してみればいいじゃない」
さらにあっさりと言ってくれた由乃さん。

由乃さんにはわかり得ない…いや、姉妹それぞれ、他人にわかり得ない部分って
あるんだと思う。
由乃さんは何かあると令さまに当たって、
「令ちゃんのバカ〜」
と叫ぶことが出来る。
それでもふたりの関係は変わらない。
しかし、祐巳の場合は……
……………落ち込むので考えるのは止めた。
別にお姉さまに向かって
「バカー」
と叫びたいわけではなかったが、ツーカーの仲というものには密かに憧れてしまう。
もっとも、先日のあわや姉妹解消かという大きな事件の結果、大分心が通じ合う
ようになってきたとは思う。(密かに由乃さんが「ドリル風穴事件」と呼んでいた!)
やはり言いたいことは溜め込んでないではっきり言う方が私たちにはいいみたいで…

「早くお会いしたいなぁ…」
数週間先にはお姉さまとの楽しい約束が待っている。
そのせいもあって今が余計に味気ないのかもしれない。
その約束のことを思うと自然に顔が綻んでしまうくらい楽しみなのだ。

「祐巳ー。ハガキだよ」
そこに祐麒が入って来た。
「…何、にやけてんの?気持ち悪い」
「お、乙女の部屋に勝手に入ってくるなんて!!姉弟とは言え、ノックくらいしなさいよねっ!」
「ノックしたよ。聞こえないくらいにやけてただけだろ?きっとまた祥子さんのこと考えて…」
うっ…
1+1=2的な一目瞭然の直撃にもかかわらず、祐巳は詰まる。
「図星か…」
姉のとってもわかりやすい表情に独り言の祐麒。
「と、とにかく用がないならさっさと出て行きなさいねっ」
ついこの間までは身長もほとんど変わらなかったのに、最近とみに男っぽくなってきた年子で
同学年の弟に、負けるものかと精一杯姉らしい威厳を見せて一言。
にやり。
弟は嫌な笑みを浮かべる。
「せっかく祥子さんからの絵ハガキなのに、いいのかなぁ、そんなこと言って…」
電光石火の変わり身で、祐巳は飛び上がって尻尾振り振り祐麒に抱きつかんばかり。
「それを早く言ってよ〜。祐麒く〜ん♪」
わんわんわん♪
いつもなら
「『祥子さま』よ、『祥子さま』!」
と煩く注意されるのだが今はそれどころじゃないらしい。
呆れると言うかいじらしいと言うか、悩みつつ祐麒は後ろ手にしていたハガキを祐巳に差し出す。
はっはっはっは♪
尻尾があったなら千切れんばかりに振っているところだろう。
嘆かわしいと言うか微笑ましいと言うか…
長年離れていたご主人さまにやっと会えた忠犬よろしく、祐麒の差し出したハガキに飛びつき、
目を輝かせて見入る祐巳の様子に、祐麒は複雑な心境だった。
所詮男の子に過ぎない祐麒には、祐巳の祥子さまに対する気持ちはちょっと理解しがたいものが
あるのだろう。
しかし、彼はそう言って姉をからかったりはせず、一言、
「祥子さんって今海外なんだね」
プライバシーの侵害なので中身を読んだりはもちろんしないが、横書きの筆記体の表書きを
見れば、海外からのエアメールであることは明白だった。
祐麒の言葉に祐巳がゆっくり振り向いた。
「うっ!」
祐麒は思わず一歩引いた。
先ほどまでの元気は何処へやら、どんより曇った顔でうるうる涙目。
よくもまあアッという間にこれだけ変われるものだ…
祐麒は半ば感心しつつ、
「別に祥子さん、向こうに永住するって訳じゃないんだろ?」
全く…
こんなに祐巳を幸せに絶頂に引き上げたり、不幸のどん底に突き落としたりする祥子さんって…
確かに美人だし、上品でいかにもお嬢様だし、素敵な人であることは認めるけれど。
「そ、それはそうだけど…同じ東京都下で同じ空気吸っているのと、海外は違うもん」
世界中同じ空気だと思うが、というツッコミはしないでおく。
果たしてどんな言葉をかけるのがこの場に一番相応しいのだろう。
姉の背中に「お姉さま命」と見える。
あまりに一途な祐巳の思いに軽い嫉妬なぞ感じつつ、祐麒は彼なりに悩んでいたんだけど。
「よし!!お返事出そう!」
意欲満々で机に向かう祐巳。
その気合の入った後ろ姿を微笑ましく見守りながらも祐麒は言わずにいられなかった。
「返事ってどこに出すのさ?届く頃にはもう移動しているかもしれないよ?」
「がーん」
口に出して「がーん」なんてコントにしかならないけれど、祐巳は真実ショックを受けていた。
それがよくわかるので笑えない、出来た弟の祐麒である。
「どうしよう、祐麒…」
「いや、俺に振られても困るから…」
そりゃそうだろう。
「一体どうしたらいいのよー?」
「いや、俺に聞かれても…」
いちいち付き合う辺りが姉弟そろって律儀な苦労性である。

もちろん祐巳が悩んでいても時間は過ぎていくわけで、その夜も暮れ、また朝が巡ってくる。
「おーい、祐巳」
バタバタと祐麒が部屋へ入って来る。
お姉さまを思いつつどうしたらお返事できるのか悩んでいた祐巳は眉をしかめた。
「祐麒、私の部屋に入る時は…」
しかし、祐巳の言葉は遮られた。
「祥子さんからまたハガキだよ」
「えっ?」
がばっ!
思い切り弟に飛びつく祐巳。
奪い取るようにハガキを取り上げる。
『ごきげんよう、祐巳。私は今フランスのパリにおります。ここは…』
「…え?」
祐巳は目を瞬くと昨日のハガキを取り出す。
「どうしたのさ?」
祐麒が声をかけると祐巳は2枚のハガキを手にしたまま振り向いた。
「ね、祐麒。ノルウェーとフランスって近いっけ?」
「へ?」
真顔で聞かれてきょとんとする祐麒。
「近いってば同じヨーロッパだから近いかもしれないけど…北と西だったかな?」
そんなことも知らないのか、何を勉強してるんだよ、なんて憎まれ口を利くことも忘れて素直に応じ
る祐麒は祐巳の手元を覗き込む。
「……」
昨日がノルウェーで今日がフランス。
そりゃ移動はすることもあるだろうけど、昨日の今日で…
「お父さんのお仕事の関係なんだろ?そういうこともあるんじゃないの?きっとノルウェーを発つ少
し前に投函したんだよ?」
「…そっか、そだね」
簡単に納得して幸せそうにハガキに見入る祐巳。
かと思うとぱっと顔を上げて、
「ちょっと祐麒、入る時はノックしなさいよね」
やれやれという様子で祐麒が出て行くと、祐巳はハガキに目を戻す。
2枚とも簡単な走り書き程度の文章だけど、相変わらずの達筆である。
大事な大事な祐巳の宝物。

お姉さまが日本にいない。
その事実が祐巳を落胆させる。
「いつお帰りなのかなぁ…」
真っ青な空を見上げて飛行機雲など見つけるとついつい呟いてしまう。

祐巳がまたしてもハガキを見つけたのはその翌々日のこと。
『ごきげんよう、祐巳。私は今イタリアにおります。ここは…』
「……」
祐巳は絵ハガキを手にしたまま固まった。
「フランスとイタリアってあまり離れてないよね…」
自分に言い聞かせるように呟く。

しかし、祐巳の驚きはそこで止まらなかった。
数日後にはモロッコ。
その少し後にはブラジル。
さらにアメリカ、カナダ……
祐麒も巻き込んで祐巳がおろおろするくらい、ハガキは各国から投函されていた。
「祥子さんって凄いなぁ…」
祐麒が感嘆する。
それに素直に同意できない祐巳。
「お姉さま、こんなあちこちいらしてお身体は大丈夫かしら…?」
せめてもの慰めはカナダからのハガキに、
『明後日日本に戻ります。約束を忘れていないわね。』
と書いてあったこと。
約束とは祥子さまのおうちの別荘に招待されていて共に数日過ごすこと。
忘れるはずもないけれど、ここ数日はそれすら頭から飛んでしまうくらい心配した。
そう、お姉さまのお顔を拝見すればきっと安心する。
祐巳はやっとほっとしたのだった。

「ごきげんよう、祐巳。元気にしていたかしら?」
「ごきげんよう、お姉さま。はい!沢山のおハガキをありがとうございました」
「普通のエアメールにしようと思ったけれど、いろいろな場所の絵葉書の方が楽しいかしらと
思ったのよ」
「……楽しかったです、はい…」
ハガキに印刷されている風景なんて見る余裕もないくらいに。
お姉さまは祐巳の返事に満足げに微笑んだ。

小笠原家の別荘に祥子さまと赴く日。
『くるまで』の誤解があった以外は順調に出発。
そんな会話の後で後部座席に落ち着いてすぐに目を閉じ、寝入ってしまうお姉さま。
祐巳はじっとお姉さまを観察した。
その横顔は少しやつれてはいるものの、全体的に日に焼けて逞しくなったような気がする。
「……お姉さまって凄い…」
また新たにお姉さまを尊敬する祐巳だった。

 

いつも掲示板に書き込みしてくださる瀝青さまのリク、
「祥子さま×祐巳でエアメール」でした。(笑)
実はシリアスでもう1編考えているのですが、それは無事に
仕上がればアップしますね。(笑)
瀝青さま、リクをありがとうございました。